木村多江さんが「アナザースカイ」でシンガポールに訪れたことで、シンガポール出身なのか?と話題になりましたね!
木村多江さんの実家はシンガポールという説と、東京都江東区という説があるのですがどちらが事実なのでしょうか。
また、木村多江さんには実家がお金持ちでお嬢様育ちという噂もあります。
シンガポールといえばインフィニティプールで有名なマリーナベイサンズがあったり、都市部はすごく栄えているイメージですよね!
もしシンガポールに実家があればお金持ちというのは事実かも。
噂によると父親が何やらすごい人のようですが…。
今回は木村多江さんの実家や出身、お父さんについて調べてみたので生い立ちが気になる方はぜひご覧ください!
木村多江の実家はシンガポール?
調べてみたところ木村多江さんの実家はシンガポールではありませんでした。
所属事務所「融合事務所」のプロフィール欄には「東京都出身」と記載されているので、木村多江さんは日本生まれのようです。
ではなぜシンガポールに実家があるという噂が流れたんでしょうか?
それは木村多江さんが2歳半までシンガポールで暮らしていたからのようです!
木村多江さんは帰国子女だったんですね。
木村多江さんはお顔立ちから何から”純日本人”といったたたずまいで、着物姿の時なんて旅館の女将さんといわれてもうなずけるぐらいの容姿ですよね。
よく、親が外国人とかハーフではないのかと噂される芸能人の方もいますが、木村多江さんは勝手に日本出身の方だと思っていたのでシンガポールという言葉が出てきたときはびっくりしました。
木村多江がアナザースカイで訪れたシンガポール
アナザースカイといえばおなじみ「第二の故郷の空」に行く番組ですよね。
ここでシンガポールに行ったため、シンガポール出身という噂が出たようです。
しかし2歳半まで過ごしたといいますが、当時の記憶ってあるんでしょうか?
私は3歳ごろの記憶は断片的に残っているんですが、神戸ポートピアランドに電車で行った時の阪急三宮駅の看板とか天橋立旅行をしたときの花火大会翌日の海を掃除する船の光景とかよくわからないものばかり覚えています。
これが2歳ごろとなるともう正直何にも覚えてません。
調べてみたところ大人になるまで記憶が残っている年齢は3~4歳ぐらいが一般的なようです。
別の研究で2歳半から記憶できるという説もあるようですが、これはあまり一般的ではないですよね。
実のところをいうと3歳の自分の記憶として覚えているというよりも断片的に覚えてた記憶と実際に訪れた日付を後から照らし合わせて、3歳の自分が言った場所の記憶として思い出しているような気もします。
今回のアナザースカイで木村多江さんは2歳半まで過ごした場所としてシンガポールを紹介されましたが、記憶として残っているのでしょうか。
私たちが昭和レトロな建造物を見てなぜか懐かしくなるのと同じように、もしかしたらシンガポールの空が体に刻み込まれてるのかもしれないですね。
木村多江は江東区出身?
木村多江さんは東京都江東区の門前仲町出身だそうです。
2024年1月13日放送の「アナザースカイ」で「下町育ちなんです」と話された木村多江さん。
江東区は東京の中でも真ん中のほうに位置するエリアで、海辺のほうはお台場とかガンダム像が有名ですよね。
門前仲町は木村多江さんがおっしゃる通りいまだに江戸情緒が残っていて、東京の中でも下町感を楽しめる町になっています。
門前仲町は昔の地名を「深川区」というのですが、ここはちょうど江戸の初期に開拓された町とされています。
私が大好きな時代小説「公家武者信平シリーズ」の主人公もはじめ、深川区に屋敷をもらって住み始めるんですけれど、家臣の一人が「なんで深川に?!」と驚くぐらいまだ未開拓の土地だったんですよね。
そこからは江戸が栄えるにしたがってにぎやかになっていくので、江戸時代と共に作り上げられた町という感じになっています。
以前は木村多江さんのWikiやプロフィールに「門前仲町出身」と記載されてたんですけど、現在は江東区というより大枠の表記になっています。
これはおそらく門前仲町エリアがとても狭いからではないでしょうか。
2、3時間あれば一軒一軒回れそうなぐらいの規模感なので身バレ防止のために江東区出身という表記に変えられえたのかもしれません。
木村多江は金持ちでお嬢様って本当?
木村多江さんにはお金持ちでお嬢様育ちという噂がありますが、これは事実ではなさそうです。
木村多江さんは2歳半までをシンガポールで過ごした帰国子女で、高校は「白百合学園」という女優・松たか子さんやAAA宇野実彩子さんも卒業された私立女子高に通われていました。
確かに肩書だけを見ると生粋のお嬢様といった感じですよね。
しかし、木村多江さんは苦労の多い人としても知られています。
木村多江さんが女優として活動を始められたのが19歳なんですが、なんと21歳の時に父親が他界してしまうんですね。
夢を追いたいけれど家族のことも養わないといけない…!というのでバイトを3つ掛け持ちして朝かっら晩まで働きどおしながら女優としての活動もされていました。
木村多江さんのバイト姿なんて、なんだか想像つかないですよね。
パン屋さんやホテルのスタッフ、レストランなど主に接客業中心のアルバイト生活をされたようで、バイト先のチョイスは人当たりのよい優しい印象の木村多江さんにピッタリですね!
実は私の家も私が幼少期の時にリーマンショックなどが重なって、それまで専業主婦だった母が働きに出るようになりました。
その時の母が選んだバイト先も3つ。昼間はスーパーのレジ、夜はコンビニと別のスーパーで品出し。
母だけ夜が2回来るのかな…?というかいつ寝てたんだろう。
この時私はまだ中学生ぐらいだったんですが、母は家事を全部自分でやる人だったので、家事+バイト3つという驚異のスケジュールをこなしていました。
木村多江さんも20代後半の頃には働きすぎて睡眠時間が1.2時間になってしまっていたといいますから、家族を背負う立場になる人って本当に強いなって尊敬します。
木村多江さんが21歳の時にお父様が急逝されていてこの生活になったようですが、もともとお金持ちであればここまで働くことはないと思うので、木村多江さんは極一般の家庭育ちであると思われます。
当時は学生の弟さんがいたことから、木村多江さんが働きづめで家族を支えたようですお金持ちの家庭であれば当面の生活費の貯蓄や学費のめどはついていたのではないかなという印象ですね。
この状況を女優という夢を叶えたうえで乗り切られたのは本当にすごいなと思います!
木村多江の父親はどんな人?
木村多江さんはシンガポールにルーツがありましたが、それはお父さんの仕事の関係のようです。
2024年1月13日放送のアナザースカイによると父親は液化天然ガスの備蓄設備を建設する仕事をされていたそうです。
天然ガスを冷却して液体にしたもの。
クリーンエネルギーとして使用され、主に火力発電に用いられる。
液化天然ガスが初めて日本で使用されたのが1969年なので、当時20代だった木村多江さんのお父さんは最先端のエネルギーを扱う仕事に従事されていたんですね。
また、シンガポールの駐在員として家族を連れてシンガポールで仕事をされていたんですが、シンガポールの建国は1965年。
何もかもが新しい、これから発展していく国と分野で仕事に従事されていたようです。
今でこそベンチャー企業とかSDGsの関連で、環境負荷の少ないエネルギーへの関心が高かったり、発展途上国への進出をする人も多くいますが1960年代となるとまだまだ未知の領域だったのではないのかなと思います。
木村多江さんも同年代の女優が多くいる中「日本一薄幸の演技が似合う女優」という唯一無二の肩書を持ってらっしゃいますよね。
ご本人にとっては複雑な肩書のようですが、ギラギラした芸能界の中で儚げなのに存在感があるという役者はなかなか少ないのではないかなと思うので木村多江さんの持ち味ともいえるでしょう。
道なき道を歩む、というところがどこか父親と共通しているような気がしますね。
木村多江さんの子供と旦那さんについてはこちら↓
まとめ
今回は木村多江さんの実家がシンガポールなのか江東区なのか、お金持ちという噂は父親が理由なのかというルーツについて調べてみました!
- 木村多江は江東区門前仲町出身
- シンガポールには父の仕事の関係で2歳半まで滞在
- お金持ちという噂は事実ではなさそう
- 父親は建国間もないシンガポールで液化天然ガスの設備関係の仕事をしていた
最近はドラマ以外のテレビ番組への出演も増えてきた、木村多江さん。
少しずつ過去の噂について解き明かされていくのが楽しいですね!
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